【就職に弱い文学部生が本気で就活を頑張ってみた話】

こころゆたかに、すこやかに、一番生きやすい私でいたい*大学生*好奇心の塊*読書*英語*スペイン語*and so on...*みなさま元気をくださいっ!

星をください☆

なんと身もふたもないタイトルなんでしょう(笑)

 

実は最近、私の友達もブログを始めまして、

たまに私はこっそり覗き見たりしています

 

彼女はブログを始めたばかりにも関わらず、

たくさんの☆をもらっていて、

わたしの方が文字数多く書いてるし、色々考えて書いてる

彼女は好き勝手に何か書いているだけなのに

おかしいじゃないか

そう思ったりします

 

 

 

 

 

ここまで読んで、「それはおかしくない?」と思った人、

その人は正常だと思います。

自分と今同じラインに立っている人、もしくは自分よりも上のレベルにいる人に対して、「自分はこれくらい苦労したんだから、あの人も同じ苦労を味わうべきだ」「それは近道をしているだけだ、もっと努力しろ」という人は、

結構いるんですけど、

かなりヤバいと思います。

どうしてそういう人は、相手の人生と何の関係もない自分の苦労を、人に押し付けたがるのでしょう。どうして自分と同じラインには、同じくらいの労力でしか来られないと思っているのでしょうか。どうして「天才」の存在を認めないのでしょうか。「自分はあんなにやっているのに、どうしてアイツが…」と言ってみたところで、自分の無能さをアピールするだけなのに。

 

たしかに、努力してたどり着いたレベルに一瞬で追いつかれたり抜かれたりするのは、悔しいと思います。しかし、人には向き不向きがあり、努力型の人と才能型の人がいたり、類型化できないほど千差万別の人であふれています。人にはそれぞれその人の持っているハードルがあって、高さはみんな違います。だから、自分が血を流して必死に越えたハードルが、一瞬で隣の人に颯爽と飛び越されることもあります。逆もまた然りです。

 

ところで、「欲しいものを手に入れるには、何かを失わなければならない」という考え方がありますが、私はあれがものすごく苦手です。どうして「何かを失う」ことだけが、欲しいものを手に入れる手段のように語られるのでしょうか。

そして、そういう思想の人ってその「失わなければならない」ルールを人に押し付けてくる気がします

少なくとも、私の周りのそういう思想の人はみんなそうでした。「~がしたい」と相談すると、「君はまだ何も失ってないだろう、何も初めてないんだから、もっと本気出せよ」といってきます。どうして何も失ってないことが、何も行動を起こしていないことになって、本気度が足りない人の証拠になるのでしょうか。そして次には、「俺の場合は…」と自分が何を犠牲にしてきたか列伝を滔々と語っているのですが、そういう人の中でそのほしいものを手に入れた人は誰一人いませんでした。すくなくとも、私にはそう見えました。

そのような人たちは、「努力の足りない人」を糾弾します。自分は、かつて大切だった、あれを捨てこれを捨て、あらゆるものを犠牲にしてきたのに、あいつは何も失わないで安全な立場にばかりいる。身を削る努力が足りないんだ、だから甘えているんだ。

いやいやいや、何かを失ったり、自分を危険な立場に置かなくても、欲しいものをみんな手に入れる人、ざらにいますって。

 

それが唯一の努力、成功の方法じゃないでしょ。

 

そう思った夜でした。

 

 

でもやっぱり、星をください。